娘がVリーガーになるまでの道 by父

娘がVリーガーになるまでの苦難の備忘録 Vリーガーを目指す人の参考になればと思い、書いてます。

強豪学校ってどんな感じ?部活は?勉強は?仲間は?

強豪校入学

入学式当日。

この強豪学校のバレー部に入るためには、強豪学校からの特待をもらわなければ入れないことになっていた。

だから、学校に入りました。バレーをやりたいからバレー部に入りますと言っても入れはしない。

なので、入学式にバレー部が揃って写真を撮ることができた。

が、そのバレー部が集まっているさなか、監督がいたそのさなかに、まったくの部外者が入部を希望してきた。

今までは受け付けてくれないはずの部外者を監督は、そこ心意気が気に入ったと入部を受け入れたのだ。

異例中の異例だ。

もちろん、特待などつかず普通に授業料を支払うことになる。

 

仲間

入学式には間に合わないが、中国の仲間が合流するとのことだ。

身長は娘をゆうに超え、170㎝!!

当時の娘の身長は165㎝

強豪学校なのに、身長が高いのは娘とその中国の仲間2人だけだった。

あとは身長が低かった。

しかし、面白いのは左利きがいるということだった。

バレーで左利きは有利になる。

レフトからライトからスパイクをガンガン打てるようになるからだ。

これはちょっと面白いチームになるんじゃなかろうか?と期待した。

中学生のバレーボールは、身長が低くても勝てる。

そこへ身長が高いのが数名いればさらに有利になり、左がいればもっと有利になる。

しかし、実際に中国の仲間が合流して愕然とした。

まったくのド素人だったのだ。

しかも日本語もままならない。

そしてその中国の仲間をサポートするのは娘の担当になったのだった。

 

勉強

文武両道を掲げた学校だけに、娘は勉強もがんばった。

受験の時に頑張ったおかげか、学校のテストは学年でトップクラスだった。

近所のジュニアバレーボールクラブの連中は勉強しなくても入れることを知っていたので、まったく勉強をしていなかったらしい。

そして、部外者の1名も学年でトップクラス。娘と争うようになったのだ。

負けん気の強い娘は、部外者にまけるものかと夜遅くまで勉強し、4時間くらい、いや、テスト期間中は2時間くらいしか寝ない時もあった。

そのおかげか、負けることはなかったようだ。

しかし、親は体が心配でだった。

 

部活

死ぬほどきつい。

練習は死ぬんじゃないかというくらいきつかった。

ランニングトレーニングは、体育館の壁から壁までを往復する。

上級生や同級生は平気で壁を触らないで往復するが、娘はしっかりとタッチしていた。

さらに、コート周りをランニングならぬダッシュする練習では、周りが平気でコートの端を内側へ入って走るのを、娘はきっちりコートへ入らず走っていた。

それも誰に言われるわけじゃなく、自分でそうしようとしていたのだから凄いとしか言いようがない。周りがやっていれば流されるのが普通だろうが・・・

 

その時思っていたということが、死んでもいい。ということだったらしい。

もし、倒れて救急車で運ばれたら、大変なのはむこうだという。

う~ん、それでもやりぬくのは大変だと思う。

 

ボール拾いでも手を抜かない。

球が来る軌道へいち早く動き、ボールを取る。壁にボールがつかないように追いかける。など、自分なりに考えて行った。

 

部活の上下関係

上下関係はすざまじかった。

合宿などでは一人づつ上級生の部屋へ呼ばれ、上級生だらけのなかお説教が延々と続く。

それも、気に入らないとか、そんな理由だ。

意味のない事なのだ。

態度が気に入らないだけならなんとか聞けるが、死ねやアホなど馬頭が続く。気が狂いそうになる。

そうして上級生には逆らえなくなる。

 

遠くに上級生が見えたら、変な掛け声の挨拶をしなければいけない。

へんな掛け声は、娘の代で取りやめになったのは良かった。

 

さすがに伝統ある強豪校だ。

いらない風習が多い。

しかし、一番良かった点は監督だ。

 

もちろん怖い存在で怒ると猛烈に怖い。

昭和の監督なので、手が出なかったかというとノーコメント。

でも、言っている事が腑に落ちるのだそうだ。

いままでのジュニアの監督は、ただ罵るだけ

「バカ、アホ、なにやってるんだ!」

なんで怒っているのか、何が悪いのか分からなかった。

しかし、この監督は、

なんで怒っているのか意味がある。

言われたことができないから怒られる。

そういう意味では、自分が何をやらなければいけないのかがわかり、

成長できたのだと思う。

 

母親から、

「変えろと言われたときは、大げさに変えなさい。少し変えただけでは他人から見たら分からない」

と口酸っぱく言われていたのもあり、

言われたことはすぐ、おげさにかえるようになっていた。

 

しかし、癖というのはなかなか変えられず、スパイクで肘が下がっているというのは、直しても直しても知らないうちに再発してしまうもので、その点は何度も怒られていたそうだ。

 

さて、今日はこの辺でおしまいにします。

次回、部活仲間、意外なところに敵(親の応援)、親の仕事など