バレーボールジュニアクラブへ加入
小学校低学年、運動神経のかけらもない娘が、友達が少ない娘が、学校で夜遅くまで遊べるということで、奥さんのPTAバレーについていくことになった。
友達と遊べ、一緒に行くのが楽しかったようだ。
そのうち、ボールを拾ったり、大人が球出しをしている人へボールを渡したりするようになった。
それが他の子よりも、上手にできたそうだ。
そして自分からバレーボールをやりたいと言い出した。
親としてはバレーボールはやらせたくなかったが、自分からやりたいという事をやめさせる理由がなかった。
しかも本格的にやるとは思ってもいなかったのだ。
ネットで調べ、車で30分くらい離れた地区でジュニアクラブが週3日練習しているというので、電話をして了解を得て見に行った。
すぐ入会することとなった。
PTAバレーで一緒に遊んでいた友達も一緒だ。
ゴールデンエイジというのをご存じだろうか?
ゴールデンエイジとは、子供の身体能力、運動能力が著しく発達する時期のことです。
具体的には5~12歳(年長~小学6年生)の期間。体の動かし方、動作、技術を短時間で覚えることができる、一生に一度だけの貴重な年代をゴールデンエイジと呼びます。
成長が早い時期の5歳と12歳では身体的違いが大きいので、ゴールデンエイジを「プレ・ゴールデンエイジ(5~9歳)」と「ゴールデンエイジ(10~12歳)」に分けて考えます。
(ネットから引用)
やらせるなら、本当は、小学校3年までに始めたほうがよかったのだが、入会したのは小学校4年生のときだった。
当時、娘はいつもクラスで1番背が高かった。
バレーボールをやるにはうってつけだったのだ。
ジュニアクラブの監督は、なぜか娘をかってくれていた。
スパイクは身長が高いので、普通に打てる。
ただブロックが上手くなかった。
そこで監督はわざわざ、ブロックをするボードを買ってきて、
娘の名前を付けた。
娘の名前は非公開にさせていただくが、仮にさやかだとしたら、
「さやかボード」
という名前をつけたのだ。
わざわざそこまでして上達させたかったというのは、当時驚きだった。
なにせ、どんくさい娘だったのだから。
そして、サーブ。
みんなが下から打つアンダーサーブをしている中、一人だけ上から打つように指示されたのだ。しかもそんなにたくさん練習したわけじゃない時期にだ。
そして、伝説の試合、1セット全得点娘のサーブで終わってしまうという事があった。
もちろん、サーブ得点だけじゃない。でも小学生がサーブをミスしないで全部入れるというのだけですごいことだと思うのだ。
さて、監督の話だが、
この監督ひと癖もふた癖もある人だった。
子供好きというのは、もちろんなんだろうが、やっぱりかわいい子が好きなのだ。
監督だけではなくコーチも含め、えこひいきがひどかった。
一緒に入った同じ学校の同級生は、笑顔が素敵で、大人から可愛がられていた。あまり怒られないのだ。
いつも怒られ役は、娘だった。
娘は恥ずかしがり屋で、無口なほう。嫌なことは、たぶん顔に出ていたのだと思う。
それを憎らしく思い、怒られていたのかもしれない。
この監督だけじゃなく、当時のジュニアクラブの監督はほぼだったと思うが、
そうとうな暴言をはいていた。
上達させたいのならば、何が違うのかを教えればいいのだが、
「バカ!」「のろま!」
など、自分の感情をそのまま声にだすのだ。
さらに、試合で上手く勝てないとふてくされ、試合中、雰囲気を最悪にしているのだった。
選手が雰囲気を悪くするのではなく、監督がだ。
試合を見ないで、横を向いてしまい、何も指示をしなくなったり。
子供みたいだった。
しかも、途中でも帰ってしまうのだ。
やりたい放題の監督だった。
子供が監督の気づかいをするという、変なところだ。
当時、親は、
期待されているから怒られるんだと、励ますので必死だった。
そして本当に最悪な出来事があったのだが、
娘が大泣きし、もう嫌だという所までいった。
その時、親は単純にも、強豪の東京のジュニアチームへ移籍することをススメたほどだ。
(後々聞いた話では、この話とは無関係に、その東京のジュニアチームの監督が娘を引っ張ってきたくて色々手をまわしていたという事だった)
でも、娘は
「一緒にやっているみんなを裏切るわけにはいかない。」
と泣きながら言ったのだ。小学生5~6年生がそんな事をいうなんて感動した。
結局、簡単にやめるという子はこういう団体競技には向いていないのかもしれない。
決してすごく仲がいいというわけじゃない。
自分がスパイカーとして責任を感じていて、自分が抜けたら誰がやるんだ?という自覚があったのだ。
本日はここまで、
次回は、当時の娘のバレーセンスについて書きたいと思います。