娘がVリーガーになるまでの道 by父

娘がVリーガーになるまでの苦難の備忘録 Vリーガーを目指す人の参考になればと思い、書いてます。

強豪学校ってどんな感じ?部活は?勉強は?仲間は?

強豪校入学

入学式当日。

この強豪学校のバレー部に入るためには、強豪学校からの特待をもらわなければ入れないことになっていた。

だから、学校に入りました。バレーをやりたいからバレー部に入りますと言っても入れはしない。

なので、入学式にバレー部が揃って写真を撮ることができた。

が、そのバレー部が集まっているさなか、監督がいたそのさなかに、まったくの部外者が入部を希望してきた。

今までは受け付けてくれないはずの部外者を監督は、そこ心意気が気に入ったと入部を受け入れたのだ。

異例中の異例だ。

もちろん、特待などつかず普通に授業料を支払うことになる。

 

仲間

入学式には間に合わないが、中国の仲間が合流するとのことだ。

身長は娘をゆうに超え、170㎝!!

当時の娘の身長は165㎝

強豪学校なのに、身長が高いのは娘とその中国の仲間2人だけだった。

あとは身長が低かった。

しかし、面白いのは左利きがいるということだった。

バレーで左利きは有利になる。

レフトからライトからスパイクをガンガン打てるようになるからだ。

これはちょっと面白いチームになるんじゃなかろうか?と期待した。

中学生のバレーボールは、身長が低くても勝てる。

そこへ身長が高いのが数名いればさらに有利になり、左がいればもっと有利になる。

しかし、実際に中国の仲間が合流して愕然とした。

まったくのド素人だったのだ。

しかも日本語もままならない。

そしてその中国の仲間をサポートするのは娘の担当になったのだった。

 

勉強

文武両道を掲げた学校だけに、娘は勉強もがんばった。

受験の時に頑張ったおかげか、学校のテストは学年でトップクラスだった。

近所のジュニアバレーボールクラブの連中は勉強しなくても入れることを知っていたので、まったく勉強をしていなかったらしい。

そして、部外者の1名も学年でトップクラス。娘と争うようになったのだ。

負けん気の強い娘は、部外者にまけるものかと夜遅くまで勉強し、4時間くらい、いや、テスト期間中は2時間くらいしか寝ない時もあった。

そのおかげか、負けることはなかったようだ。

しかし、親は体が心配でだった。

 

部活

死ぬほどきつい。

練習は死ぬんじゃないかというくらいきつかった。

ランニングトレーニングは、体育館の壁から壁までを往復する。

上級生や同級生は平気で壁を触らないで往復するが、娘はしっかりとタッチしていた。

さらに、コート周りをランニングならぬダッシュする練習では、周りが平気でコートの端を内側へ入って走るのを、娘はきっちりコートへ入らず走っていた。

それも誰に言われるわけじゃなく、自分でそうしようとしていたのだから凄いとしか言いようがない。周りがやっていれば流されるのが普通だろうが・・・

 

その時思っていたということが、死んでもいい。ということだったらしい。

もし、倒れて救急車で運ばれたら、大変なのはむこうだという。

う~ん、それでもやりぬくのは大変だと思う。

 

ボール拾いでも手を抜かない。

球が来る軌道へいち早く動き、ボールを取る。壁にボールがつかないように追いかける。など、自分なりに考えて行った。

 

部活の上下関係

上下関係はすざまじかった。

合宿などでは一人づつ上級生の部屋へ呼ばれ、上級生だらけのなかお説教が延々と続く。

それも、気に入らないとか、そんな理由だ。

意味のない事なのだ。

態度が気に入らないだけならなんとか聞けるが、死ねやアホなど馬頭が続く。気が狂いそうになる。

そうして上級生には逆らえなくなる。

 

遠くに上級生が見えたら、変な掛け声の挨拶をしなければいけない。

へんな掛け声は、娘の代で取りやめになったのは良かった。

 

さすがに伝統ある強豪校だ。

いらない風習が多い。

しかし、一番良かった点は監督だ。

 

もちろん怖い存在で怒ると猛烈に怖い。

昭和の監督なので、手が出なかったかというとノーコメント。

でも、言っている事が腑に落ちるのだそうだ。

いままでのジュニアの監督は、ただ罵るだけ

「バカ、アホ、なにやってるんだ!」

なんで怒っているのか、何が悪いのか分からなかった。

しかし、この監督は、

なんで怒っているのか意味がある。

言われたことができないから怒られる。

そういう意味では、自分が何をやらなければいけないのかがわかり、

成長できたのだと思う。

 

母親から、

「変えろと言われたときは、大げさに変えなさい。少し変えただけでは他人から見たら分からない」

と口酸っぱく言われていたのもあり、

言われたことはすぐ、おげさにかえるようになっていた。

 

しかし、癖というのはなかなか変えられず、スパイクで肘が下がっているというのは、直しても直しても知らないうちに再発してしまうもので、その点は何度も怒られていたそうだ。

 

さて、今日はこの辺でおしまいにします。

次回、部活仲間、意外なところに敵(親の応援)、親の仕事など

本命強豪中学校へ

強豪中学主催の大会

本命の強豪中学校が主催する大会へ参加した。

中学校主催の大会は、どこもスカウト目的だと思われる。

ジュニアの監督は、娘がこの学校へ入りたいことを知っていた。

そのため、セッターの子に、

「娘へトスを多く上げろ」と指示がでていた。

 

しかしながら、そこは子供である。

仲の良い友達に上げてしまう。

仲の良い友達も目立ちたがり屋で、身長も娘より低いのに、打ちたがり。

目立ちたがりの子、愛想の良い子の2人がスパイクをたくさん打つ。

そのため試合では勝つこともできなかった。

 

ベスト6そして特待枠

そして、結果は良くなかったものの、優秀選手賞のベスト6は頂いた。

主催側は、ジュニアから提出された身長を見る。

結局、上手いかどうかではないんじゃなかろうか?

身長が高く、身長が伸びそうな子が欲しいのだと思う。

両親の身長も大切な情報。我が家は両親が一般の人より身長が高い。

スカウトはその子を見れば、身長が伸びそうかわかるみたいだ。

例えば、ひざ下の足が長いとか?

 

ここで、予想外なことが起きた!

母親の知り合いのお母さんの子が、上級生だったのだ。

知り合いのお母さんに連れられ監督室へ案内された。

そこには、中学の監督と、高校の監督が揃っていた。

そして、この学校へ入りたいと熱望している旨を伝えた。

向こうからしてみれば、特待Aはどうしても欲しい人に与え、来たいと熱望している人は特待Bにしても来るだろうと考えるかもしれない。

しかし、なぜか特待Aをいただいた。

試合結果もよくない娘、こっちから行きたいと言っている娘にだ。

たとえ、特待Bでも入ったのにだ!

この学校のスポーツ推薦 特待A枠は、全スポーツ活で2枠しかないといわれた。それを娘に1枠与えるという事だった。

信じられない夢の話だった。

 

後で知ったのだが、親密な近所のジュニアバレーボールクラブの子供たちは皆、特待Aをもらっていたそうだ。人数にして3人くらいが入ることになっていた。

だから、娘は、それ以外の特待A枠ということだろう。

 

特待Aというのは、入学金、授業料、施設料が無料になる。

それに対して特待Bというのは、入学金、施設料が無料になった。

これは学校によって違うと思う。

特待Bでも授業料が半額になったりするところもあると思われる。

 

入学までと受験勉強

さて、入学するには試験を受けなければならない。

スポーツだけでなく、文学も要求される学校らしい。

なので、しっかり勉強してきてくださいと言われ、

願書、過去の問題集(いわゆる赤本)をもらってきた。

 

10月もすぎた今頃から塾に通うのは異例。

学習塾へ行ってみたが、かなり大変だと言われてしまった。

たしか、受験は2教科の試験で、国語と算数を選択。

算数の問題集を「一般的な本」と「図形に特化」した本の2冊買った。

塾に通うお金を払う代わりに、親が先生として教えることとした。

中学受験は、親でもがんばれば理解できるレベル。

最初、鶴亀算って何?ってレベルでした。

 

問題集を受験の日まで終わらせるために、一日何ページ進めればいいのか計算した。

全ページを終えた後、再度、間違えたところや、理解度を深める復習時間を作るようなスケジュールを検討した。

 

そして、スケジュール通りにはいかなく、やりたくない日もあり、何日間か放置されたこともあった。

しかし、親も協力してなんとか勉強させたが、嫌で泣いてしまうこともあった。

泣いても逃げることができないんだよな。

結局、全部を手掛けることができなかった。

受験で出ないことを祈った。

 

受験まで体を動かす

推薦を獲得した日から、学校からは何か月も連絡がなく、不安な日々だった。

あれは夢かウソか、幻か?

 

体はバレーボールクラブを引退しているので、バレーボールをする機会がない。体力、筋力が弱くなっていく一方だし、ボール感がなくなる。

家の駐車場で直上のパスをしたり、自分で上げたボールをネットにスパイクしたり、ママが横から投げ上げたボールをネットへスパイクしたりした。

また、チョークで地面に輪っかを書いて、ラダートレーニングや反復横跳びなどをやるようにしていた。

 

受験

そして迎えた受験当日。

算数の問題は、勉強できなかった場所が、2か所でてしまったそうだ。

しかし、なんと一発合格。

よかった。解放された!

 

今、考えれば名前だけ書けば合格だったのかもしれない。

その場で学校から、名前入りの「スポーツ特待生」という書類を頂いた。

入学手続きの書類には、入学金の欄がバツ印されていて、あとは入学式に行くだけとなったのだ。

 

こうして、娘のバレーボール人生が進んでいくこととなった。

 

次回、強豪学校ってどんな感じ?部活は?勉強は?仲間は?

バレーボール中堅の中学校主催の大会 スカウト(お誘い) 待遇など

中学校主催の大会

小学校のジュニアクラブで、バレーボールをしていた娘。

毎年7月ころ、バレーボールでは中堅の中学校主催の大会があった。

6年生になった時の大会で、優勝はできなかった。

 

勝てないジュニアクラブの現状

話はそれるが、バレーボールと言うのは、一人ではできない。

いくら優れたアタッカーがいたとしても、トスとの連携ができていなければ、上手く打てないから。

もちろん、トスが上手くいくためにはレシーブがセッターの取りやすいように上げなければならない。

娘はアタッカーだった。

セッターのトスが低すぎて、娘の打点が下がる。

トスがぶれすぎて力が入る打点で打てていない。

そもそもトスを上げない。いじわるもある。

それにも関わらず、監督はアタッカーのせいにする。

セッターの育成がおろそかだった。

怒号を飛ばす監督は、未熟である。

プレーが下手なのは、上手く育てられないから。

下手なのは、自分のせいだという本質がわかっていないのだ。

 

スカウト

さて、優勝はできなかった中学校主催の大会。

だいたいベスト4くらいがいい所だった。

しかし、優秀選手賞をいただいた。優秀選手ベスト6ってやつです。

そして、優秀選手賞をいただいたという事は、スカウトされるということだった。

結局のところ、この大会は、選手を獲得するための実力確認の大会なのだ。

待遇は、A特待ということだった。

入学金、授業料、施設料が無料だ。(個人的に必要な制服代や修学旅行代などは自費)

中学から高校までの一貫学校なので、6年間である。

 

なぜ娘が?

そしてその中学校バレーボール部の監督のお言葉

「40年間やってきたバレーボール人生で、本当に欲しいと思った」

「強豪中学へ行くのだろうが、声だけは、かけさせて頂きたい」

「娘が入りたい強豪校を倒すことを目標に練習している。打倒強豪!」

ということである。

 

とてもうれしかったが、獲得するためのうたい文句じゃなかったのだろうか?

ジュニアクラブでは、かわいい子、愛想のいい子が評価され、娘の評価は低かった。

こんなに評価されたのは初めてで少し疑ってもいた。

娘はそうとう喜び、この中学へ入ると言い出すほどだった。

もちろん、強豪中学へ行きたいが、現時点ではスカウトが入るかわからない。

体験で中学の練習に参加したのだが、娘への入れ込みようがすごい。

教え方は、ベテランの監督なので上手。

娘の弱点を見て、重点的に練習させてくれた。

娘はさらに気持ちよくなったらしい。

 

中堅か強豪か?

しかし、親は知っていた。

もしバレーボールを将来していきたいならば、強豪中学へ入るのが近道。

この中学の監督が言う通り、娘がすごい選手ならば、強豪中学へ入るべき。

 

そこで、強豪校はVリーグチームへ入りやすいと、娘へ伝えた。

実際、合宿をVリーグチームの体育館で行ったりするのだ。

すると、娘は強豪校へ入りたいと言い出したのだ。

 より上を目指したいと思い始めたのだと思う。

 

覚悟

しかし、親はバレーボール選手へしたくはなかった。

バレーボール選手だけでなく、スポーツ選手としてやっていくのは、相当な覚悟が必要だということを知っている。

さらに、スポーツ特待で学校へ入るという事は、途中でやめたいと言えない。

もしやめるのならば、学校を退学する覚悟が必要だという事。

ケガなどの理由では、特待は外れてしまい、その時点で授業料などを支払わなければならない。(学校を退学する事はないだろうが)

特待で入学するという事は、いい事だけではないのだ。

それを娘へ伝えた。

だが、それでもやりたいというのだ。

小学生の覚悟がどれほどのものか分からないが、まだ少なからず楽しいと思ってバレーボールをやっている子に、こんなことをいうのは酷だし、理解できないとは思う。

 

そもそもなぜ娘なのか?

もとをたどれば、運動神経のかけらもなかった娘だ。

当時は、どうしてそこまで期待されるのか、不安だった。

 一つ分かっていたのは、身長が高くなるかもしれないという事だった。

 

母親が大きいと子供は大きくなるといわれているそうだ。

我が家は父が180㎝以上、母が175㎝以上ある。

そして、娘の当時の身長は163㎝。座高が低く、腰高だった。

この身長に対する期待なのかもしれない。

膝の位置も関係あるとかないとか?

女子バレーボール選手は、180㎝以上あると有利だといわれている。

 

次回、本命の強豪中学校主催の大会に参加。ここからスカウトがなければその後の人生はなかったでしょう。

 

考えられない運動能力の向上! 小学校5~6年時の娘のバレーボールセンス

当時、娘の身長は153㎝を超えていて、

おばあちゃんを抜いていた。

 

運動能力の向上原因、分析

なぜどんくさい娘が機敏に動けるようになったのか?

それは、靴のおかげだと思っている。

当時、偏平足だった娘。母親が偏平足で偏平足の弊害を知っていた。

ジャンプの衝撃を足全体で受け止めてしまい、血小板が破壊されてしまう量が多く、貧血になるというのだ。

普通なら、つま先から着地し、足裏と足首がクッションとなって衝撃を吸収するが、偏平足ではクッションになるものがなく、衝撃を吸収しずらい。

なので、インソールで土踏まずを作ろうという考えだった。

幸運にもインソールを販売するお店が家から数分の所にあった。

ブロックというお店である。

足形をとり、オーダーメイドのインソールを作る。

料金は高く、当時12000円以上したと思う。

料金が高くとも、一度作れば靴を変えてもインソールは流用できる。

足形をとる料金が高く、インソールの複製は安いらしい。

だが今考えると、小学生の娘はどんどん成長し、足も大きくなるのでその都度足形を取り直さなくてはならなかったのだ。

※インソールを変えても、貧血対策にならないらしい。食事で対応してくださいと言われてしまった。実際は、怪我防止、足の筋肉の張りなどを抑える効果だそうだ。

 

しかし、意外なことにインソールを入れ、ぴたっと靴が足に合うと、娘の動きが変わったのだ。

迅速に動けるようになり、今まで取れなかった前へのボールに反応でき取ることができるようになったのだ。

今まで上手に足を使うことができていなかったのだ。

聞くと、足の指を使ってけることができるというのだ。それが瞬発力になった。

 

私の考え、

「靴は消耗品だから安いのでいい」

という概念を覆した。靴だけに。(おやじだなぁ)

 

それからというもの、学校のかけっこでは上位を競うようになった。

身長も高くなり、歩幅も広く、それが速さに直結したのかも知れない。

かけっこで上位を取るなんて、低学年の時には考えられず、しまいには運動会の締め、リレーアンカーを務めるまでになってしまったのだ。

すごくないですか?本当に靴のおかげなのだろうか?

ゴールデンエイジのおかげなのだろうか?

 

なので、声を大にして言いたい、

スポーツをする子供には、足にあった靴を履かせてください!

あなたの子供の運動能力が劇的に変わる可能性があります。

何かうさんくさい宣伝みたいだ。

 

娘のスパイク

娘のスパイクは、あきらかに他の子のスパイクとボール軌道が違っていた。

他の子はあまりジャンプせず、スパイク軌道が一度上へ向かい下へ落ちるという山なり軌道。

娘はジャンプして、上へ行かず、斜め下へ向かっていくスパイク。

スパイクの質があきらかに違っていた。

※ちなみに、あまりジャンプしないことを、「ヤクルトジャンプ」というらしい。ヤクルトの高さしかジャンプしないという理由。

 

しかも同クラブの保護者からも言われたが、

スパイクジャンプの時、空中で一瞬止まって見えるらしい。

空中で止まって見えるのは、ジャンプ力がある証拠。

止まって見える人はあまりいないそうだ。

なんかうれしいですね。

 

娘の才能について

努力する才能

家での練習を毎日した。

駐車場が隣にあるのだが、そこにネットを張って、スパイク練習をした。母親がボールを投げてあげて、それをネットに向かって打つというもの。

それだけではなく、反復横跳び。

ボールに見立てた新聞紙をぶら下げて、ジャンプして打つ練習。

 

自分で考える才能

毎日バナナを食べる

練習でサーブミスしたら1回につき腹筋10回

毎日スイング練習30回

などを紙に書いて見えるところへ貼っていた。

おかげで、小学6年の頃には腹筋が少し割れていた。

 

誰かの顔色を見ながらのプレーではない

よく、失敗したとき、スパイクを決めときなど、監督の顔色をみる子がいる。

心の弱さから監督の顔色をうかがってしまうのだろう。

娘は一切そういうことはなかった。

監督が娘の顔の前で、ものすごいけんまくで怒っても、顔色一つ変えずにいた。

 

洞察力

試合中などベンチに引っ込められた時、相手を見ている。

弱いところを観察しているのだ。

そして再度コートに入ったときは、弱いところを徹底的に攻める。

相手の良いところを取り入れてみる。

など、観察する能力。誰から教えてもらったわけではないのに、できているところがすごい。

 

休まない

肩が、足が痛い。では休まない。

もちろん、風邪などでも休まない。風邪を引かないように徹底して気を付けていた。

インフルエンザが流行していた時は、好きではないが、R-1を毎日飲んでいた。

 

天才というのが世の中にいるのかもしれない。

娘は天才ではない。

現在、バレーボールをしていても才能を感じるところはない。

しかし、努力する才能ならば人よりあるのかもしれない。

いや、普通の人は努力をしないだけで、普通に努力しているだけかもしれない。

努力・継続・責任感・洞察力・予測

努力は自分の意志が強いかどうか。

 

今回はここまで。

次回は、中学からの誘い、そして進学

バレーボールジュニアクラブへ加入

小学校低学年、運動神経のかけらもない娘が、友達が少ない娘が、学校で夜遅くまで遊べるということで、奥さんのPTAバレーについていくことになった。

 

友達と遊べ、一緒に行くのが楽しかったようだ。

そのうち、ボールを拾ったり、大人が球出しをしている人へボールを渡したりするようになった。

それが他の子よりも、上手にできたそうだ。

 

そして自分からバレーボールをやりたいと言い出した。

親としてはバレーボールはやらせたくなかったが、自分からやりたいという事をやめさせる理由がなかった。

しかも本格的にやるとは思ってもいなかったのだ。

 

ネットで調べ、車で30分くらい離れた地区でジュニアクラブが週3日練習しているというので、電話をして了解を得て見に行った。

すぐ入会することとなった。

PTAバレーで一緒に遊んでいた友達も一緒だ。

 

ゴールデンエイジというのをご存じだろうか?

ゴールデンエイジとは、子供の身体能力、運動能力が著しく発達する時期のことです。

具体的には5~12歳(年長~小学6年生)の期間。体の動かし方、動作、技術を短時間で覚えることができる、一生に一度だけの貴重な年代をゴールデンエイジと呼びます。

成長が早い時期の5歳と12歳では身体的違いが大きいので、ゴールデンエイジを「プレ・ゴールデンエイジ(5~9歳)」と「ゴールデンエイジ(10~12歳)」に分けて考えます。

(ネットから引用)

 

やらせるなら、本当は、小学校3年までに始めたほうがよかったのだが、入会したのは小学校4年生のときだった。

 

当時、娘はいつもクラスで1番背が高かった。

 バレーボールをやるにはうってつけだったのだ。

ジュニアクラブの監督は、なぜか娘をかってくれていた。

スパイクは身長が高いので、普通に打てる。

ただブロックが上手くなかった。

そこで監督はわざわざ、ブロックをするボードを買ってきて、

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ブロック版1

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ブロック版2

娘の名前を付けた。

娘の名前は非公開にさせていただくが、仮にさやかだとしたら、

「さやかボード」

という名前をつけたのだ。

わざわざそこまでして上達させたかったというのは、当時驚きだった。

なにせ、どんくさい娘だったのだから。

 

そして、サーブ。

みんなが下から打つアンダーサーブをしている中、一人だけ上から打つように指示されたのだ。しかもそんなにたくさん練習したわけじゃない時期にだ。

そして、伝説の試合、1セット全得点娘のサーブで終わってしまうという事があった。

もちろん、サーブ得点だけじゃない。でも小学生がサーブをミスしないで全部入れるというのだけですごいことだと思うのだ。

 

さて、監督の話だが、

この監督ひと癖もふた癖もある人だった。

子供好きというのは、もちろんなんだろうが、やっぱりかわいい子が好きなのだ。

監督だけではなくコーチも含め、えこひいきがひどかった。

一緒に入った同じ学校の同級生は、笑顔が素敵で、大人から可愛がられていた。あまり怒られないのだ。

いつも怒られ役は、娘だった。

娘は恥ずかしがり屋で、無口なほう。嫌なことは、たぶん顔に出ていたのだと思う。

それを憎らしく思い、怒られていたのかもしれない。

 

この監督だけじゃなく、当時のジュニアクラブの監督はほぼだったと思うが、

そうとうな暴言をはいていた。

上達させたいのならば、何が違うのかを教えればいいのだが、

「バカ!」「のろま!」

など、自分の感情をそのまま声にだすのだ。

さらに、試合で上手く勝てないとふてくされ、試合中、雰囲気を最悪にしているのだった。

選手が雰囲気を悪くするのではなく、監督がだ。

試合を見ないで、横を向いてしまい、何も指示をしなくなったり。

子供みたいだった。

しかも、途中でも帰ってしまうのだ。

やりたい放題の監督だった。

子供が監督の気づかいをするという、変なところだ。

 

当時、親は、

期待されているから怒られるんだと、励ますので必死だった。

 

そして本当に最悪な出来事があったのだが、

娘が大泣きし、もう嫌だという所までいった。

その時、親は単純にも、強豪の東京のジュニアチームへ移籍することをススメたほどだ。

(後々聞いた話では、この話とは無関係に、その東京のジュニアチームの監督が娘を引っ張ってきたくて色々手をまわしていたという事だった)

 

でも、娘は

「一緒にやっているみんなを裏切るわけにはいかない。」

と泣きながら言ったのだ。小学生5~6年生がそんな事をいうなんて感動した。

 

結局、簡単にやめるという子はこういう団体競技には向いていないのかもしれない。

決してすごく仲がいいというわけじゃない。

自分がスパイカーとして責任を感じていて、自分が抜けたら誰がやるんだ?という自覚があったのだ。

 

本日はここまで、

次回は、当時の娘のバレーセンスについて書きたいと思います。

なんのとりえもない娘

兄と妹の2人兄弟。

兄はテニスが好き。というか私がテニスをしていたので、それを継ぐ形で好きだと言っていたのだと思う。

 

さて、娘の話だが、

幼稚園の頃、娘はいわゆるおませちゃん?

ていうのか、同年代の子と一緒にいても遊びが合わない。

どちらかというと、上級生の親戚のお姉ちゃんと一緒のほうが合うのだ。

親ばかではなく他の大人から見ても、同年代の子より賢く、なんとなく恥ずかしがり屋であった。

 

当時、

娘に公文、ピアノ、新体操、テニスを習わせていた。

全部合わせて、月額3万円也。

週5日、習い事があった。

なんでそんなに習い事をしていたのかというと。

奥さんに言わせると、兄は友達と遊んだりできるが、妹は近くに友達もいなく、まだ一人で遊びに行かせられないので、せめて習い事で友達を作って楽しめればいいのではないかということだった。

 

兄の友達はいっぱいいて、奥さんは兄の遊びに付き添い、妹は家で留守番が多かった。兄の方ばかり付き添っていたため、妹の友達はできなかったのだ。

 

新体操は自分からやりたいといったのだが、親戚のお姉さんがやっているから一緒に遊びたいという要望なのだろう。

しかし、

公文へ行けば、やりたくないのか、書く字に力がなく薄い。しかも殴り書きで本当にやる気をみせなかった。

テニスは、ラケットを振れば空振り、同年代の子がバカやってるのを怒ってみている。走るのもどんくさかった。本当に運動神経のかけらも感じなかった。

ピアノは音楽教室だったのだが、大きな声を出さなければならかったり、クラスの雰囲気がだめで、すぐ辞めてしまった。

新体操は、お姉さんがやっていたので楽しんでやっているようだった。

 

 

小学校にあがって、

運動神経のかけらも感じない娘は、学校の体育系の行事には、なんの期待もなかった。

走れば後ろから数えたほうがよく、水泳は泳げない。

試しに、誕生日におもちゃの包丁をプレゼントした。

そしたら、料理は好きみたいで、すぐ包丁を扱え、切るのが上手で、簡単な炒め物なら作ってしまっていた。

こりゃ、もう嫁さん修行の方がいいんじゃないか?

 

奥さんが小学校のPTAバレーボールをやるようになった。

遅くまで学校の友達、しかも上級生もくるし、お兄ちゃんもいるので、娘も一緒に行くようになった。

そのさい、ボールを渡したり、拾ったりするのが上手だといわれたそうだ。

しまいにはバレーボールをやりたいと言い出した。

なので、調べて町のバレーボールクラブへ入れたのだ。

 

今思えば、娘にはバレーボールをやらせたくなかった。

というのも、バレーボールはかなり辛い。辛いというのも団体競技という一人頑張ればよいというものではないこと。いまだに暴言や体罰などが横行している噂をきいていたのだ。

 

昔、島田紳助という芸人が、

「本当にやらせたいことがあるなら、一切やらせないこと!父のテニスラケットがあったら、絶対に触るなということ。そうすればすごく興味を持つ。自分からやりたいというのと、親がやらせるのでは違う」

と言っていた。

 

それを狙っていたわけではなく、そのような事になってしまった。

 

本日はここまで。

また次回、バレーボールクラブへ入ったことにより人生が動き出す。